魏志倭人伝を探る



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日本が未だ、弥生時代の頃の事です。2世紀から3世紀の日本について書かれた唯一の書物が、「魏志倭人伝」です。正式名称は、「三国志」の中の「魏書東夷伝倭人条」のことを指しまます。日本書紀や古事記が日本に置ける正史として長い間扱われて来たために、建国の歴史は記紀の記述が正しいと信じられてきました。そんな中、1700年代になり、新井白石が「魏志は実録」と延べ真摯に向き合い始めたことから、魏志倭人伝の記述が見直されるようになってきました。邪馬台国論争の幕開けです。日本の正史の中からは抹殺されてしまった「邪馬台国」や「卑弥呼」の存在が研究されるようになりました。戦後、皇国史観から脱却することが許された学会は、内藤湖南氏を中心とする京都大学系の畿内説と、白鳥庫吉氏を中心とする東京大学系の九州説で大激論が起こります。しかしながら、結論はでることなく今にいたっているのです。
近年、近畿地方を中心に出土する三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だと言われるようになりましたが、100枚をもらったはずの鏡が、既に400枚以上も出土していることや、存在しない中国の年が刻まれたものが見つかる等、日本で作られたものだと言う意見が大勢を占めるようになってきました。箸墓古墳が卑弥呼の墓ではないかと言われましたが、根本的な間違いとして、前方後円墳は大和朝廷の墓の形式であり、元来北九州で興った国々の墓の形態ではありません。もっと言うならば、卑弥呼の時代には、そもそも箸は使われていませんでした。浮き沈みの激しい畿内説ですが、発掘調査がすすむ纒向遺跡において巨大な建物が発見され、今また息を吹き返しつつあります。一方、九州派は様々な分析方法を導入し、北九州に邪馬台国があったと主張を続けています。特に、私が着目するのは、安本美典氏の論説です。非常に面白いのですが、賛同しかねる点も多々見られます。
そもそも魏志倭人伝に記載された国々は、決して脈絡なくとりあげられたのではありません。それぞれの国が担う役割や、その国の重要性があって取り上げられています。今一度、これらの国々を丁寧に見ることから、魏志倭人伝を読み解いてみたいと思います。

行程
その1 狗邪韓国

その2 対馬国

その3 一支国

その4 末盧国

その5 伊都国

その6 奴国

その7 不弥国

その8 投馬国

その9 邪馬台国


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