奴国



東南へ奴國に至ること百里。官をシ馬觚と日い、副を卑奴母離と日う。二萬余戸有り

西暦57年、日本で初めて、中国(後漢の光武帝)から印綬を受けた国が奴国です。国際社会に、最初の足跡を記したこの国は、当時倭の極南界と示されました。福岡平野を覆う地域に存在したこの国は、目覚ましい発展を遂げ恐るべき、生産力を身に付け工業国として政治都市伊都国とともに倭を牽引していきました。
弥生の後期にかけては、職業別の専業民を産み高度な社会システムを構築する迄に進化しました。青銅器を中心とした製造業は、特に優れ、近隣の国々に留まらず、出雲や畿内迄その流通を延ばしていきました。奴国の製造する青銅器を与えることが、倭の領土拡大につながっていきました。
奴国の流通
出雲の花仙山(かせんざん)から穫れる碧玉は、通貨の役割を果たし、この奴国や伊都国の製造現場に原材料として運ばれました。それらの石は加工され、勾玉や管玉へと変化し、再度、輸出されていきました。一方、碧玉に対する見返りとして、多数の青銅器が出雲へと運ばれて行き、出雲の国を育てることになりました。そして、この取引は日本海航路を確立し力強い流通システムを作り上げていきました。
稲作が日本で最初に根付いた地は、いち早く、工業生産力をつけ倭の国をリードしていったのです。


奴国ミニ写真館
奴国の王墓須玖岡本遺跡