不弥国


東行して不彌國に至ること百里。官を多模と日い、副を卑奴母離と日う。千余の家有り。

不弥国は、奴国の隣に存在した国です。人口規模から言うと、伊都国と同じ程度であり、大きな国ではありませんが、魏の使者によって取り上げられました。この国の隣にも国は存在したはずですが、投馬国へ行くには、ここから船に乗ると魏の使者は語ります。つまり、この国は航海への出口であったことは間違いありません。多くの方が福岡県糟屋郡の宇美町に比定されていますが、そんな訳はあるはずがありません。宇美町は海に面していないばかりでなく、大きな川さへありません。
宗像神社
歴史探求社は、宗像市の近くであると比定しました。近くの田熊石畑遺跡等がこの地であることを裏付けます。宗像にある宗像大社は宗像三神を祀ります。これらの神は、多紀理毘売命(たきりびめ) 別名 奥津島比売命(おきつしまひめ)、市杵島比売命(いちきしまひめ)、多岐都比売命(たぎつひめ)と言います。これを歴史探求社は、奥津島比売命は対馬の神、市杵島比売命は壱岐の神、多岐都比売命は、一岐に対する多岐であり、多岐都比売命を祀る田島の辺津宮に、多岐、すなわち、本州に向かって北と南に別れて進む航海のための港町があったと推理し、そこの神であったとします。
天照の神勅をいただいた地にある神々は、魏志倭人伝の時代、それぞれ航海の重要な役割を担う港であった神々であったのが、この地に多数の古墳を作る宗像一族により奪い取られたのではないかと考えます。壱岐で原の辻の都が突然消えたように、宗像一族の侵入が北九州連合の国々を潰してしまい、大和朝廷から遠ざける結果を作った時代の流れを読み解きます。
沖ノ島の祭祀がはじまったのは、4世紀になってからであることが、この推測を裏付けます。
不弥国から始まる壮大な推理の展開が、この後、投馬国、邪馬台国へと続いていきます。


不弥国ミニ映画館

九州大学大学院 芸術工学研究院の作品です。非常によくできた作品です。素晴らしいの一言です。少し長いですが、是非ご覧ください。
神宿る島 沖ノ島1/2(日本語版)



神宿る島 沖ノ島2/2(日本語版)


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