国内最古の木製仮面が出土 奈良県大福遺跡

纒向遺跡は、ご存知の通り大和政権誕生の地です。魏志倭人伝に記された邪馬台国のあった場所としての有力候補地でもあります。そして、私もその考えに賛同している一人です。
大福遺跡
この纒向遺跡の南側には、この遺跡に併設するように、東西約700m、南北約400mの範囲で弥生時代前期から後期にかけての複合遺跡である「芝遺跡」が存在します。この芝遺跡からは、弥生時代中期の土器棺墓・方形周溝墓・竪穴住居・井堰・木製農具・鋤・鍬・銅鐸形土製品などが出土しています。そして、芝遺跡の南西側に存在しているのが、大福遺跡です。
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大福遺跡は、この西側にあった橿原市の坪井遺跡とも接していて、近年はひとつの同じ遺跡であると見なされ坪井・大福遺跡と呼ばれています。こちらの遺跡からは、環濠と思われる大溝や土坑、井戸、墓地群などの遺構が確認されており、弥生時代前期末の木棺墓も人骨が入った形で見つかりました。大量に出土した土器の中には、人物などが描かれた線刻画土器、有柄式銅剣(ゆうへいしきどうけん)を模してつくられた木製の柄頭(つかがしら)など非常に貴重な遺物も見つかっています。弊社の出版物の中では、纒向遺跡は奈良県田原本町にある唐古・鍵遺跡からの発展形であると記載していますが、坪井・大福遺跡も唐古・鍵遺跡に負けないだけの規模を誇る遺跡であり、纒向遺跡が多くの集落の中に生まれた祭祀都市であったことを物語るものでもあります。
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5月30日に発表された桜井市纒向学研究センター研究紀要「纒向学研究第1号」に掲載された内容によると、桜井市の大福遺跡の溝から出土した木製品は、弥生時代終わり〜古墳時代初期(2世紀後半頃)の木製仮面の一部である可能性が高いと報告されています。木製品はコウヤマキ製で、長さ23.4センチ、最大幅7センチ、厚さ約5ミリ。大福遺跡の北東約3キロの纒向遺跡では、古墳時代初期(3世紀前半)の木製仮面が出土していますが、大福遺跡の物はそれをさかのぼる国内最古例となります。
今回報告された最古の木製仮面は、5年前に出土したものです。纒向遺跡で見つかっている木製仮面は、3世紀前半の土器とともに土坑から出土したもので、長さは約26cm、幅約21.5cmのものでした。アカガシ製の広鍬を転用して作られたもので、口は鍬の柄孔をそのまま利用しており、両目部分は新たに穿孔し、高く削り残した鼻には鼻孔の表現もありました。 また、眉毛は線刻によって表現されていました。一方の、今回の仮面は、それに較べると非常にシンプルなものです。表面に人工的な色もなければ、線刻模様もありません。ただ、目の部分に穴があけられており、顔に装着するためのひもを通す穴とみられる穴が耳に近い箇所に空けられているというものです。これを木製仮面であると言い切る迄にはかなり悩み抜かれたのではないかと推測します。
仮面という表現を使っていますが、「お面」とは違うのでしょうか。

西洋では、仮面というとマスクのことだと思いますが、あくまで顔を隠し正体がばれないようにするものとして使われてきました。仮面舞踏会などは、典型的な物かと思います。一方、日本のお面は意味合いが全く異なります。日本の伝統芸能の「能」には、能面と呼ばれる物があります。鬼神、老人、男、女それに霊があり、それを示すために能面をつけます。テレビや舞台でよく目にするものでは、おかめや、ひょっとこのお面があります。これらも、それぞれの性格・人格を示すのに使われるのだと思います。天狗の面や、鬼の面も、それをかぶることで、天狗や鬼に扮するためのものです。日本を含むアジアにおいて面はその物になるための道具であるのです。これは、西洋の仮面と大きく異なった文化のひとつなのではないでしょうか。面をつけることで、いつしか、踊り手もしくは役者に、その神であり霊が乗り移ってくると信じられていたのではないでしょうか。
日本において、古来より使われて来た面とは、顔を隠す「仮面」ではなかったのだと思います。そのものになりきるための「お面」であったのではないでしょうか。そして、太古の時代には御霊を呼び込むための道具であったと思うのです。