日本の歴史が凝縮した「醉象」の発掘 奈良興福寺

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奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)は10月24日、奈良市登大路(のぼりおおじ)町の興福寺旧境内から、平安時代の将棋の駒「酔象(すいぞう)」が見つかったと発表しました。一緒に出土した木簡に「承徳二年」(1098年)とあり酔象では国内最古となるそうです。
発掘現場は奈良県庁東側の観光駐車場で、平安時代から興福寺の子院・観禅院があった場所。ごみを埋めたらしい井戸跡(深さ約3.7メートル)から、土器や瓦、木簡とともに将棋の駒4点が見つかったそうです。「酔象」「桂馬」「歩兵」各1点と不明の駒1点で、「酔象」は現代の将棋の駒に近い五角形でした。木製で一部破損していますが、縦25ミリ、横15ミリ、厚さ2ミリ、裏面に墨の跡はなかったと報道されています。消えてしまったのでしょうか。「桂馬」「歩兵」の裏面には「金」と書かれていたようです。
将棋というと、囲碁と並んで日本の伝統的知的ゲームと思われている方も多いと思います。日本の将棋人口は、少し前になりますが、約1000万人と言われていました。つまり、日本人の10人に一人が将棋をたしなむわけです。今、日本で一番強いのは誰かと言われると、羽生善治かもしれません。名人位を続けている森内俊之、竜王位を手放さない渡辺明も強いですね。日本には、現在7つのタイトルがあります。毎日新聞社と朝日新聞社が主催する名人戦が一番古いタイトルです。持ち時間9時間で2日間かけて戦う頭脳戦ですが、7番勝負ですから、体力も必要です。まぐれでタイトルをとることはありえないのです。優勝賞金が一番高額なのは読売新聞社が主催する竜王戦です。優勝賞金はなんと、4200万円。トップ棋士になると年間1億以上を稼ぐことも夢では有りません。4段以上になると日本将棋連盟の正会員になれますが、現在、日本には222人しかいません。
私達がやる将棋は、「本将棋」と呼ばれる物です。81マスの将棋盤を使い、お互い、役割(動き)の違う、金、銀、桂馬、香車、歩、それに飛車、角をもって相手の王朝を穫りにいきます。手持ちの駒20枚を使って、相手の王将を穫った方が勝ちになります。今では、もう指されることはないようですが、将棋には、本将棋以外にも、大将棋と言って、225マスの将棋盤と130枚の駒を使うもの、中将棋と言って144マスの将棋盤と92枚の駒を使うもの、また、小将棋と言って、将棋盤は本将棋と同じですが、駒を42枚使うものもあります。
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福井県では、小将棋の伝統が守られており、朝倉将棋と呼ばれて今でも大会が行われています。2枚多い駒は何かというと、「象」と書かれた「醉象」です。この「醉象」を、2列目の角や飛車の並びに、王の真ん前に置いて始めます。「すいぞう」と言うのですが、王が全方向に1つづつ動けるのに対して、真後ろだけは動けず、他は全方向に1つづつ動くことができます。相手の陣地に入ると、成り駒になりますが、「醉象」が成るのは「太子」なのです。太子に成ると、王と同じ動きができるようになります。この、「醉象」が今回、興福寺の旧境内で発掘されたものなのです。
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私は、この将棋というゲーム程、日本の文化、そして考え方を表している物はないと思っているのです。将棋に似たゲームで、西洋にはチェスがあります。最も大きな違いは何かというと、将棋は穫った駒を持ち駒として、自分の兵として使うことができるところです。それ以外は、ほとんど同じです。チェスも将棋も、インドのチャトランガと言われるゲームが元になっているからとされています。チャトランガは、チャトル・アンガで、チャトルが4、アンガがパーツです。駒は、象、馬、車、歩兵の4つで戦います。
日本でいつ本将棋が始まったのか、また、いつ伝わったのかは謎であり、まだ、解明されていません。ただ、
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チャトランガもチェスと同じで、持ち駒を使うということがありませんから、直接チャトランガが伝わったという物ではないようです。中国には、「象棋」と書いてシャンチーという将棋に似たゲームがあります。違うのは、駒が丸いのと、線の交点に駒を並べます。駒には、歩の代わりに卒が居て、一つ飛ばしに前列に並びます。飛車、角の位置に砲があります。王ではなく、将軍の将であり、その隣に、金の代わりに士がいます。これはこれで、非常にわかりやすい。王様が戦の最前線に出て戦うという発想はなく、戦う王様は将軍なのです。
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砲の前に、卒が居ないのも、なるほどと思わせます。韓国にいくと、この中国の象棋と全く同じ物が有り、これを「将棋」と書いてチャンギと発音します。王の代わりに、楚と漢があります。先手が楚を持ち、後手が漢です。なんとなく、三国志っぽいですよね。そして、楚と漢は最初宮廷の中にいるのです。中国のシャンチーが、相手陣地で成り駒に成るのに対して、韓国は成りません。どこ迄行っても、兵は強くならないのです。
こうやって見てみると、日本の将棋は実によくできています。これは、日本の文化そのものが反映されたためではないかと考えるのです。王を中心として、戦場で戦うのは多分古墳時代から、王が力で勝ち取るようになったからではないかと思うのです。また、一旦征服してしまえば、その兵は自分の兵として使えるという世界に類を見ない発想は、まさしく、日本の歴史そのものではないかと思うのです。継体天皇がヤマト政権を征服した時、当時の大臣、大連はそのまま残し、体制を引き継いで政権をとりました。そして、彼らに命じて磐井の乱の鎮圧を行ったのです。
私は、今回見つかった「醉象」という駒に日本らしさが凝縮しているような気がします。「象」という駒ですから、日本に存在したとは思えませんが、まず、王の前に居て王を守ります。後ろに下がれないのは、王に取って代わることが許されない証です。相手陣地に攻め込むと、太子となります。太子となると、王とまったく同じ動きができるようになります。これぞ、日本の制度そのものではないでしょうか。天智天皇は、皇太子のまま百済と戦いを行い、近江に都を移しました。太子は、敵陣に入ってこそ王と同じ力を発揮できるようになるのです。
今回の「醉象」は、中将棋の駒だと考えられているようです。私は、小将棋ではないかと考えています。日本の将棋が確立したのは、なんとなく、天智天皇や天武天皇の頃なのではないのかなと想像するのですが、これは、多分違います。一般に言われている通り、平安時代、実際の戦がなくなって世の中が安定し、日本独自の文化が花咲いた頃作られた物と考える方が、確かに説得力があります。しかし、その駒の持つ意味は、それ以前の日本の歴史が反映されているに違いないと思うのです。