応神=ヤマトタケルは朝鮮人だった 林順治 河出書房新社

歴史愛好家とは、非常に不思議なもので、得てして信者になりがちです。ある人の説に感激すると、その人の言うことは闇雲に信じて疑わなくなります。ベスト本に名前を載せている作家の方々にも、狂信的な信者がいらっしゃることは有名です。まあ、大学でも先生の論文を踏まえて論を進めるわけですから、似たり寄ったりではあるのですが。さて、林順治さんは、どうやら石渡信一郎さんの狂信的信者であるようです。石渡氏の説を、自分の見方を加えて力説されています。結果、久し振りに読むのに疲れる本と出合ったというのが感想です。普通なら、自分の持つ知識と照らし合わせながらふむふむと読み進めていくのですが、「えーなんで?辻褄があっている?」と常に読み返しを求められます。この書の原点は、応神天皇が百済21代の王である蓋鹵王(がいろおう)の子で、日本に人質にだされた徐昆支であるという説です。全てはそこから出発しています。(但し、林氏は蓋鹵王(コウロおう)の弟であったと、韓国の定説も否定されています。)。突っ込みどころは山程あるのですが、そもそも三国史記の中には、文周王の三年秋七月に「内臣佐平昆支卒」と書いてあります。佐平は一等官ですから、百済で重責を追った臣であり、476年に百済で亡くなっていることになっています。宋書百済伝に出てくる余昆は、昆支であったのでしょうが、458年に征虜将軍になったと書かれています。日本書紀によれば、461年に日本に質としてやってきます。少なくとも、蓋鹵王がなくなる以前に、百済に戻っていたのだと思います。ちなみに、応神天皇陵は5世紀初頭につくられた墓です。どんなに頑張っても、5世紀初頭に日本で巨大な墳墓を造ることはできないのです。(本の写真をクリックいただければ、アマゾンのショップに繋がります。)
Pasted Graphic 4

読みやすさ  ★★★
着想の奇抜さ ★★★★
論理の力強さ ★