銅鐸民族の謎 臼田篤伸 彩流社

以前、どこかで、古代史研究家には信者になりたがる人がいて、教祖を祭り上げる傾向があるという話をさせていただきました。新興宗教の世界に似ています。現代の古代史の世界には、3名程の教祖様がいらっしゃいます。その中の一人が、古田武彦氏です。もちろん、私は古田氏の作品も好きですし、古田氏は悪くはない。しかし、この本の作者は、熱烈なる妄信的な古田信者です。まず、銅鐸とはというおさらいから入り、これまでのいくつかの説を紹介されています。序章としてはまずまず。そして、何を言いたいのかと思っていると、銅鐸は、「埋められたものではない」ということと、「外側を叩いて鳴らした」ということを繰り返し力説されています。埋められたか、自然に埋もれたかは確かに重要なことですが、何のために使ったのかが全く書かれていない。つまり、自説が何もない。初期のものは叩いたことは明白ですが、野洲市の巨大古墳を叩くために作ったかは疑問です。だからこそ、皆さんは形骸化し、神格化したのではないかと言っておられるわけで、誰もヨーロッパの釣り鐘のように使ったとは言っていません。後半になると、銅鐸から民族に話題が変わるのですが、内容は古田武彦氏の説をもう一度なぞっているだけで、そこには補足すべき研究もなければ、新たな視点も何もありません。正直、何のために書かれた本なのかと思ってしまいました。もちろん、書評であるならそれでもいいですし、古田説の解説書であるならそれもいいと思います。そうであるなら、一環してそうであってほしいと思いました。古田説を銅鐸から眺めてみたいと思われる方には、良い本なのかもしれません。(本の写真をクリックいただければ、アマゾンのショップに繋がります。)
Pasted Graphic 4

読みやすさ  ★★★★
着想の奇抜さ ★
論理の力強さ ★★★